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*ある女の末路(まつろ)*

 小さな細長い箱に、ぎゅう、ぎゅうと音がして来そうなほど人が鮨詰め(すしづめ)にされると私は胸が高鳴った。田舎者特有のミーハー気分でしょって一蹴(いっしゅう)されれば、そこまでかもしれないが無論(むろん)、私には別に理由がある。いや、理由があるはずだ。というのも、私は今まで一度も満員電車というものを経験したことがない。いつもすれ違いざまに目にする程度だったからだ。だが、乗ったらそこに何らかの意味を見出す自信はある。これは、明確に言えた。

 毎朝、通勤のために利用している快速(かいそく)電車は到着前に先頭で並んでいなくても悠々(ゆうゆう)と座席を確保出来た。早朝出勤というのもあるだろう、都心から田舎への交通移動というのもあるだろう、とにかく昼休みさえ手作り弁当かコンビ二の出来合いで我慢すれば誰もが羨む(うらやむ)職場の立地条件と言えた。海産物の卸売(おろしうり)をしている職場では、私は主に受付事務の職を任されていた。初めはどきどきもしたが、三ヶ月も経てば声色(こわいろ)に変化を付けられるほど余裕が出て来た。かといって少人数態勢な上に、男尊女卑がいまだに息づく古い考えを持った上司ばかりなので、キャリアアップを見込めそうにもないのだ。私はただ、最初に与えられた仕事を来る日も来る日も行って、来(きた)るべき日がやって来たらレースでも白無垢(しろむく)にでも巻かれて涙を流しながら会社を退いていったらいいのだ。というか、もうすでにそのサイクルに組み込まれていた。小学生の頃に夢見た将来は、誰もが叶うと信じ多くが半ば(なかば)挫折(ざせつ)して行く。その節理(せつり)を導き出した時、曖昧(あいまい)で、ゆらゆらと浮遊(ふゆう)しているそれは、欲する人数分ほど用意されていないことに気付くのだ。何もかもが遅いと言ってよかった。志望する大学に合格して、私は全能(ぜんのう)の神にでもなったつもりでいたのかもしれない。嫌な顔ひとつせず高額な学費を支払い続けて来た両親の優しさに甘えて、私の大学生活は遊び三昧(ざんまい)だった。一応、卒業出来る程度の成績ではあったけれども、将来に向けて沸々(ふつふつ)と何か準備をしていたということもなければ特別展望(てんぼう)があったわけでもない。当時、付き合っていたボーイフレンドがいたので結婚すればいいか、なんて安易な思惑でいたのだ。だが、卒業間近、遠距離になるからという、ありきたりな理由で私は一方的に別れを告げられた。そして、親のコネを使って入社したのがこの会社だった。

 当然、文句を言える立場にないことは重々承知しているが、一年勤めて限界に達していた。単調な業務、適齢期の男がいない職場、見渡せば山に囲まれた無数の住宅地、数々の私を蝕む(むしばむ)刺激のない環境が、ついに私の生理をも止めた。敷居の高い婦人科を受診すると、ストレスによる月経異常との診断。思い当たる原因を解消しさえすれば、とも思うが、その最大の原因である会社は「一身上の都合により」では絶対に辞められない。これ以上親に迷惑が及ぶなら、まだ女の失われた身体で耐え忍んでいる方がいい。

 しかし、私はそこまで絶望を感じているわけではなかった。暗い底辺に突き落とされて初めて、それでも僅かな光が届くことを知った。私には、たった一つの希が残されている。

 寿退社。

 今日も、すれ違う満員電車に私の救世主たちが乗っている。いよいよ合コンも追いつかなくなって来たら、私はあの渦の中に飛び込んでいこう。今は限りなくゼロに近いけれど、人間追い詰められたら何だって出来るんだ。一生に一度、煩わしい(わずらわしい)柵(しがらみ)から放れて、裸になってみてもいいじゃないか。

                       END

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